気分を換えたら
自分自身の転倒ではないのでプライバシーに係り詳しくは書かないことにしますが、22日の10時頃住居のすぐそばの道端でバックパックを背負ったまま仰向けになって倒れ、声でではなく掌を動かして助けを求めている70ないし80代と思しき女性を助けることになりました。背負っている物を持ち上げてと考えたのですが、推定20キロといったところでしょうか、かなり重たいので仰天、リュックを外せるような救助法に代えてことはなりました。老女のかすれた弱い声での礼の言葉にこちらも頭を下げました。医院での落ち込みがあってすぐのことなので、この出来事は私の心持ちを変えることになりました。「まだ人を助けるってことがあるんだ」、ただそれだけのことですが、私はこれを立ち直る転機にしようと思ったのです。
そして昨日、少し大きな眼鏡屋でずっと懸案だったUVカット付きPC眼鏡の修理と購入を実現し、同時に辞書や六法の小さな活字迄検索可能な2倍の拡大鏡を手に入れました。久しぶりに明るい気持ちになれた私。それにしても本当に「人間、気持ち一つ」なのですね。いい歳をして改めてそう思いました。

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終に本格的な聴覚障害者に
この20日のこと、一人で最寄りの内科医院に出向いた。後期高齢者の特定健診を受けるためだった。小さな医院とタカをくくっていて「困るほど混んではいないだろう」と決めつけていた。ところが朝一なのに何とすでに15人ほどの患者が広いとは言えない受付フロアに詰まっていた。1瞬たじろいだがそのまま受付に。今現在の自分の姿を思い知らされたのはこのときだった。看護師の言葉がほとんど聞こえないのだ。保険証や問診票は提出したものの、まだ何か説明とともに何かをするようにと口が動いている。集音器をつけているのに聞き取れない。珍しく頭が真っ白になった、確かにこのところ聴覚の衰えが激しかった。ヘッドホンを付けてもドラマのセリフなど意味不明なほどに聞き取れなくなっていた。ただ日により時間により少し好転する時がある。この日の朝はそれを感じていたのだが。優し気な看護師は3回も繰り返してくれたが、私は自分の耳を指差してダメサインを出してだらしなく俯いた。衆人環視の中での自分の姿が実に惨めだった。するともう一人横に居た看護師がカウンターから出て私の左耳の傍でゆっくりと話を始めた。ようやく要旨がつかめて求められた書類にも記入を始めた。最初の看護師が訊いていたのは、健診だけなのか、その後も当院で診療を受けるのか、「独居老人」なのかなど大事と思われる事柄だったようだ。私は近くまで来た看護師に応えた。その後採尿カップを手渡されトイレに向かったが、気持ちの落ち込みようは自分でも初体験と言える程に深刻だったようで、自分を見失った感じの中で、あろうことか採尿にも失敗をしてしまった。「完全に役立たずの爺になった」大げさでなく茫然自失に近かった。トイレから出て看護師に事情を伝えると時間を空けてまたやってみてと帰宅ではなく待期を勧めてくれた。私は驚いていた、トイレに居た10分ほどの間に患者がかなり増えていたことに。採尿カップを手に一番隅の方で待機していたのだが、10数人がいっぺんに患者として入って来てフロントに並んだのには仰天した。控室と中廊下の満タンは私にとっては恐怖でしかない。この日が今次新型コロナ異種ウイルスのワクチン接種開始日だと気づいたのだった。
私は結局「出直します」と看護師に告げ、保険証などの返却を受けて外に出た。くしゃくしゃにした未使用のカップを鞄に押し込み、文字通りスゴスゴと帰宅することに。途中車の走行音ばかりを拡大している集音器を怒りに任せて耳から引き抜いた。この落ち込みは尾を引くかもしれない。そんなことを想った。

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私は結局「出直します」と看護師に告げ、保険証などの返却を受けて外に出た。くしゃくしゃにした未使用のカップを鞄に押し込み、文字通りスゴスゴと帰宅することに。途中車の走行音ばかりを拡大している集音器を怒りに任せて耳から引き抜いた。この落ち込みは尾を引くかもしれない。そんなことを想った。

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消極的支持もやめることにした
かつて何度か記事にしたブログ記事を書くについての禁じ手、『我が仏、隣の宝、婿舅、戦の話、人の善し悪し』の中に「政(まつりごと)」は入っていません、なるべく触れないようにしてきたような気がします。それは若い時、というか現役時代のようにいわゆる1次資料にあたることなど能力的にも出来ませんから書くとするとメディアからの見聞の切り取り以上に出ませんので、自戒していたのです。そんな私でもこの記事のような書き方は出来ると思います、単なる個人的な「宣言です!」から。
ということで、私老馬は、「いまの総理大臣が彼である間は自民党の消極的支持も止めることにしました」…何と力のない小さな発言でしょう。それでも半世紀50年に亘って続けてきた、消極的とはいえ自民支持をとりあえず条件付きで捨てることにしたという決断は私にとってはかなり重いことでした。国を任せられるような野党が無い以上、「じゃあ選挙では棄権か」となりがちですが「棄権は現状肯定」なのでいたしません、野党の中から保守に近い候補者に票を投じることにします。正に「ゴマメの歯ぎしり」「蛙の声」という抵抗ですが1選挙民としては精いっぱいの政権批判だと思います。
総選挙はまだのようですが、この地伊東市の市議会議員選挙が3日後の9月24日に投票となります。国政選挙と違って市議選では政党は大きな意味を持ちませんが、それでも早速自民候補は選択肢から外しました。ちなみに実際市民のために汗をかいていると思える候補者の所属政党は維新、公明、共産でした。国政では絶対選ばない政党も入っています(笑)。
禁を破って、なぜそこまで現政権に憤っているかを書き始めると、とんでもない長さになりそうなのでこの辺りで失礼します。はい、まったく個人的な意見でした。

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金のかからない癒しだった
コロナ感染疑惑の中で命の危険さえ感じながらひたすらだるくて部屋に「転がっていた」とき、不思議に同じような状態だった20代の日々の自分を思い出していた。先が見えないことと、独りを感じていることが同じで、違いはコロナというウイルスと貧しさという原因だけだ。若いのに自分の将来が想い描けない。3畳1間の部屋で涙した日もあった。そういう時期に軽やかなのにどこか寂し気なプロたちのポエムに出遭った。個人ではなく小冊子の1ページを託されているグループの創作だったと思う。内容など大したことがないのになぜか心癒されたことを憶えている。書き方と言っていいのか創り方と言うべきなのか、もう一つ解からないが自分もやってみようと、男目線で創ると現実的になってしまうので女性の目を借りて書きなぐり、さらにきちんと書き留めていたものが半世紀を経てなお机上の本棚に残っている不思議。シーンが別ればかりなのになぜ癒されるのか。それは「別れ」の前提として「出逢い」がそこにあったはずだからだと思う。つまり書いている自分は恋をし終った姿だからだ。実際には恋の「こ」の字もしていないのに。いまなら当時の自分を少し笑える、ちょっと咳き込んだけれど…今読み返しても青春の孤独感が半端ない(笑)
「ひとりのデイト」
もしかしたら逢えるかも
そう思ったらソワソワと紅など引いて行きました
いつもあなたと会った店
いつも座った隅のほう…
ライムの香りが想い出を
左の方から連れてくる
カラッと氷の目覚しで
誰もいないと知りました
メヌエット、たしかあなたは好きだった
お願いできると 訊いたわいつも
奏でる指の向こうから
寂しさだけが優しげに
そおっと肩に触れてった
泪をためてカーディガン
これもあなたは好きだった
レヂまで耐えてドアの外
一度に溢れる恥ずかしさ
忘れるために思い出す
そんな感じの今日でした
街を歩けば人ばかり
行き交うだけの人ばかり
ショルダー片手に縫うように
ただ歩いたの その中を
あなたの香りがもしかして
擦れ違うかもと考えて
(昭和50)

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終活はサブスク整理から開始
契約をすると月々、または年ごとに指定口座から料金が自動的に引き落とされるサブスクライブ、手始めにこれを整理することにした。もっとも死後も1、2年は引落しされた方がいいものもあるがそれはそれぞれの取り決めに遵うしかない。契約よりも解約が面倒なのはどこも同じ、解約手続きを探すのもかなりの手間になる。すぐに気づいたのが、今よりも難聴の程度が低かったころに2カ月をめどにと加入したサブスクだった。「たしか解約したはず」とそうは思っても記憶はかなり希薄だ。というのも面倒で短気を起した記憶があるからだ。
ゆっくり記憶を辿ると、たしか創りが雑になった昨今の大河ドラマに腹を立て、個人的に最高の時代物と評価している大河の『篤姫』をもう一度堪能したいと思い誘惑に負けたNHKオンデマンド。これはいわゆる「アマプラ」経由で加入したのだが止め方が分からなくなってしまった。しかたなく引続き大河『風林火山』を視なおした経緯がある。もう一つ同じ経由で東宝映画にも加入した記憶がある。これは黒澤明監督の映画を視なおしたかったのだが、残念ながら私の難聴が映画の台詞を亡きものにしていた。聞き取れないのだった。「確かこれも解約したはずだけど」とこれも確信は無かった。2時間ぐらいかかって得た結論、それは、ずっと引き落とされていた、ということで2件とも明確に解約をした。来月からは落とされることはない。本家?「アマプラ」の方は、映画やドラマはおまけのようなもので、加入の切っ掛けは脳梗塞を経験した後に買物に歩き回れないので通販を頼ることにした、ということでこれは続けることにした。
有料のブログは毎月1と月分の料金が引き落とされていく。こちらはメールで更新完了を教えてくれるので助かっっている。有料ホームページの方は年に1度1年分の料金を9月に引き落とされている。有料ドメインの使用料もほぼ同様だ。ホームページもブログも、人との交流がほとんど終わった今、唯一残された私的な発表の場なので止める気はない。どちらもやり始めが無料スペースからだったのでネット検索するといまだに無料スペースとしてで出てくるが、ホームページで分かるように無料であれだけたくさんの記事は載せられるわけがない。死後も遺せる私にとっては最重要な通信手段と言えるだろう。先日現金をポイントに換える手続きを済ませ、死後口座が閉じられてもポイントが遺っている限り料金として自動的に納められるようにした。
この他いろいろ精査している。発熱、感染疑惑から2週間を経過してようやく外出できるほどに落ち着いてきた。食欲も出てきておにぎりを食べたときの嬉しさは何物にも代えがたいものだった。昨日の午前9時頃、外に出て陽の光を背に歩き出した時、見上げた青空はまた格別の趣があった。マスクはとらない。息苦しくても気にならなかった。少なくとも今回は死の淵迄行かないで済んだ。それがなによりも嬉しかった。もう少し生きられる。だから大事にしようと、そう思った。
心配してくださった皆様、ありがとうございました。末尾で失礼ながら御礼申し上げます。

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より一層の終活をと再確認
感染疑惑の中、咳と痰で最も苦しんだ夜、咳き込むたびに体がベッドの上で跳ね上がるほどになったときに薄っすらと、それでも心的には明確に意識したのは「いまそこにある危機」としての死だった。咳1回で消費する熱量は2キロカロリーだとか事実10日間で体重は3キロ減った。肺炎による重症化の恐れがある条件を全て私は備えていて、あの夜こそそれを現実のものとして感じとったのだった。別の言い方をすれば自分の死を身近なものとして確認したのだ。それは病状が少しく緩和しても消えることはなかった。10日を経過し多少体を動かす気力が出てきた頃、「今までも心掛けてきたけれど、より一層の終活を急ごう」強い意志でそう決意した。そう、3年半前の脳梗塞急性期のときよりも数段強く。万一の時にかみさんが処理に困るような類のものを一つ一つ取り去って行こう、それが一番求められることだろう。
12日経過後の夕食時、普通のお喋りの中で私はかみさんにこんなことを言った、。「万一のときは長泉のマンションで一緒に暮らせたらいいね」長泉には娘と孫が住んでいる。夫君は3年以上も前に虚血性心不全で急逝している。私の死後のかみさんの身の振り方について語るのはこれが初めてのことだった。脳梗塞以後彼女も真剣に模索しているだろうが、彼女からは口にしにくいだろう。これで気安くいろいろ話してくれるようになるかもしれない。これも私の終活の一つだと思う。かみさんは今までもずっと月に1度は彼の地に遊びに出掛けている。「たまには泊りがけで行ったらどうだい」この日の会話はこれで締めくくった。

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罹患9日目
感染日(推定)から9日目に入った。コロナ特別の健康日記の計測結果に基づきアバウトな経過を認めるとこうなる。発熱初日37.9℃、その翌日が最高記録で38.9℃。その後は1日4回体温測定で36.5℃以下の平熱に戻ったのが9月4日。以降平熱をキープして本日朝に至る。これに対して咳と痰は症状開始日の9月1日がピークで咳止め専科の強力な薬を服用した。「地獄の咳と痰」が3日間続き、4日以降は痰の量や咳き込む回数も漸減、ただ食欲は出ず、動くのもおっくうでほとんど横になっていた。最悪のシナリオは避けられたが、私は76歳と高齢で生活習慣病経験者、それにノーワクチンなので油断はできない。しかも咳の回数は減ったがまだゼロではない。体調や天候なども考慮しつつ1日も早く病院へと思っている。よく報道でも注意されている「急変」も警戒したい。後遺症の咳などもありそうだ。ああ、大変だった夏の終わり。
解熱剤と咳止めで対応しつつ
(3) 新型コロナに感染したという「証」はまだ入手していません。感染日はもちろん正確にはわかりませんが、体調の崩れ方で「もしや」と感づいたのは31日から9月1日の間、ここまでは夏風邪との区別も曖昧なので総合風邪薬で対応していました。もう時系列も正確ではないのです、激しい咳で喉や鼻腔の奥に溜まっていたらしい液体、これが何とも無気味な代物で唾液と、透き通った水っ洟と、痰が混ざった感じでティシュで拭きとるまで口腔内に滞留しているのでその気味わるい味?で吐きそうになるわけです、終わるか終わらないかのタイミングで次の咳が襲ってきます。こう書くとゆっくりに感じるかもしれませんが、この1回の咳は10数秒間でのこと。これが5回から6回続いてようやく収まるのですが、その疲労感はかなりのものです。食欲は出ず毎食残しています。何をしていても眠く成り、机の傍とベッドの間を数えきれないほど往き来する始末。2キロ痩せました。
4日、ひとまとめに出る咳回数が急に減り出しまして、やっとからだを動かすのが苦痛ではなくなりました。快方に向かい始めたと診ています、自分で。明日はもう少し楽になればいいのですが。
ついに罹患したみたい
(1)今日で3日になる。
喉の痛みと発熱から始まった。毎年8月の終わりに酷暑の影響とクーラーをつかうことによる寒暖差で自律神経が狂うのか体調が崩れる。今回もそれかと思って買い置きの風邪薬で対処したが、2日目の夜に38.9℃を記録、喉がバリバリになったので「これは捕まったな」と観念をした。自前のパルスオキシメータで初日は98、2日目は96、まだ重篤ではないのだが、後期高齢で生活習慣病も抱えている私のこと、いつ危険な方向へ急変換するかは分からない。今日の真夜中に目覚めたときの恐怖は忘れない。体中の水分が抜けたのかと思うほどにTシャツ、下着、トレパンのすべてが汗でグッショリ濡れていた。着替えて体温を図って見ると38..5だった。汗のお陰でそれ以上体温が上がらないよう抑えていたのかもしれない。
いずれにせよ私の予感は当たっていた。
(2)3日真夜中の1時半。予想していた新しい症状が暴れ出した。大量の痰と激しい咳が気管から喉へ、喉から口腔内へとこのときだけで6回続けて突きあげてきたのだ。テッシュを掴んでは口の中のものを拭いとる。ベッド横のゴミ箱はあっという間にいっぱいになった。落ち着いたので血液中溶酸素濃度を確かめたのだが数値は97はある。未だ肺の中までは侵されていないのだろう。これを体験してもなお一般用の風邪薬新ル〇Aゴ〇ルドすませることはできないので、買い置いていたクー〇ワ〇せき止めGXを朝から服用している。とは言え風邪薬も良く効いていて、それは発熱と頭痛に効くくとされたもう一つの常備薬アセトアミノフェンと同じ成分が含まれていたからだろう。それはさておき、まだウイルスとの闘いは終わっていない。
やり残していること
「夏」が終わった。
未だやり残したことがあるかと自分に訊く。一番大事な小説を創っていない、最低でもそれだけはなんとか頑張りたい。
来年の4月に喜寿、77才になる。何とかそれまではもってほしいと祈らずにはいられない。
誰かがこう訊いてきたとする、やれなかったことで「一番やりたかったことは何でした」と。
私はきっと言うだろう、「昼間の大学に入り基礎的な素養を身につけたかった」と。
もっと砕けて本音を吐けば、「精一杯の青春を経験したかった」となる。
…もうすぐ真っ白な「秋」が来る。


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青春が創らせるお伽話か.
ヴァレリーは『詩はでっち上げるものだ』と喝破したとか。でもいいじゃないですか害の無い「でっちあげ」なんて、小説もドラマも映画も、いや世の中もけっこう「でっちあげ」なのだし。詩は他愛のない遊戯にさえなってくれますし、創っている間も ものによっては心穏やかにしてくれますし。
という訳でまた、心をこめた手抜き記事にしました。実はこの詩、20代前半に作った詩の半分を意図的にカットしたものです。1連にも2連にも4行ずつ二人の感情の解説めいた言葉が連なるのですが、それを省いた方が読んだ人に自分の経験で埋め補ってもらえるような気がしましたので。じれったい恋は青春の贈り物、本気で相手を想うからこそ「大事に」しすぎてしまうという…誰にでもいちどはあったのではないでしょうか、そういうこと。「いささか古いかなあ」
「ふたり」
霧雨の静寂(しじま)を縫うように
夜の雫(しずく)が落ちるころ
うつむいた あなたの震えを
とめる術さえ知らないで
ひとこと帰ると言えないで
ただ歩いたね あの日
偽りの鎖を解くように
泪(なみだ)が壁をこえるとき
よろこびの泉にふたりして
溺れることもできるのに
ひとこと抱いてと言えないで
ただ歩いたわ あの夜
恋人もいないのに小説のヒロインにつき熱弁
私が27か28かその辺りの歳のときの話で恐縮ですが、彼女もいない私が女性について大真面目に語った唯一の一文があります(^^♪ テレビドラマを視て興味を覚え原作を読みました。人気作家渡辺淳一の『北都物語』がそれで、女主人公の「絵梨子」に魅かれ、いや、その「奔放さ」にある意味度肝を抜かれて興奮し、生意気にも「絵梨子論」を一気に書き上げたのです。ロクに女も知らないくせに、いや、知らないからこそ書けた恐れ多い「女性論?」でした。それを今回、ホームページの『蛙声の游び場』の9月分更新の中で掲げています。これを書いた後、大都会で揉まれ、半島に居を移し観光ホテル会社の総務も数年経験して、複雑怪奇な恐るべき女性を数多見た現在の目からみると本当に単純で、懐かしいので、新コーナー『手のひらに載るちいさなあれこれ』の最初の記事として採用してみました。少し笑ってみたい方は、ぜひこの折にお尋ねください(^^♪
HP『馬場駿の本棚』➡ 馬場駿の本棚
この 一文は『ページ3』をクリックしてください。

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「くそ」みたいな話題
今回は、直径5ミリ程度のピンク色の美味しそうなものを1つ水と一緒に飲み込むだけで10数時間後に爆発的な効果が得られるもの、小さな天才医師みたいな便秘薬のお話です。
朝から少しく尾籠(びろうな話題で恐縮ですが本当にありがたかったので記事にしてしまいました。もっとも私、かつてこのブログで「糞尿」に関する言葉、そしてその漢字についてかなり長々と語った記憶があるのです。それに比べれば今回のはすぐに終わります。
そもそも排泄は人が生きて暮らしていく大前提たる食事とセットです。身体が不自由になった際の介護の3大要素は確か食事、排泄、入浴でしたよね。それだけ重要でありながら、嫌というほど物食い番組が氾濫しているのに対し、それと対になる排泄番組なるものはありません。そう考えてみると、テレビ界にわずかに残っている便秘薬のCMは貴重と言えるでしょう。ネットでは最近「糞詰まりは水不足のせいではありません」とキャンペーンをはっていますが。
ちなみに私は脳梗塞で入院中に1週間も出ないという人生で初めての経験をしました。もともと快食快便の人間だったので、3×7で21回分の食事の「不始末」という状態に恐怖して主治医に訴えました、「7錠」も飲んでいる薬の副作用ですよねと。先生は納得の頷きでその日から赤くて可愛い薬が1錠増えました。思わず笑った私。ま、それはそれとして、効き目は抜群でした。十数時間後、見たことも無い爆弾を見下ろしながら落涙するほどに感激したものです。便秘は副作用だけが原因ではないそうで、不安感、イライラ感、過剰なストレスなどで胃腸が悪影響を受けて起こることも多いとか。その通りで、出ていたリハビリ効果が逆戻りして以来、そんな状態になっていたのかもしれません。とにかく高血圧気味でもある私が、毎度息張っていては命にかかわりますので、終に薬を買いにドラックストアに行ったわけです。以前その店の看護師に「糖尿と皮膚病の薬は処方箋が無いと出せない」と聞いていましたが、便秘薬は良い様で何と市販薬の棚にあれこれ並んでいました。病院で飲んだものと似ている薬を買ったことは言うまでもありません。
今回も絶大なる効果を目の当たりにして、喜びに浸っている私です。
胃腸は暮しの健康を維持するもっともだいじな器官だとか、これからは体調が思わしくなくても「わはは、あはは」となるべく笑い飛ばして行こうと、気持ちを新たにしました。

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朝ドラ『らんまん』が想い出させてくれたあれこれがエグイ
じつはNHKの朝ドラ『らんまん』にけっこう嵌まっている。胸熱な展開の脚本と素晴らしいキャストが飽きさせないからだが、いっぺんにではなく視聴の折々に、演者の台詞や目に訴える背景を得て突然自分の中に現れてくるあれこれの想い、それらが影響している。そしてその多くが不思議に帝国大学の田邊教授に絡む。
のっけから田邊教授と主人公の万太郎の対立構図が米国の映画『アマデウス』に出てくるサリエリとモーツァルトのそれと心的にダブった。オーストリア帝国の宮廷音楽家で楽長のサリエリは或る日、礼を弁えない旅周りの青年音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトに出遭い、彼の中にある途轍もない音楽の才能に気付いてしまう。他の誰もが解らないモーツァルトの天賦の才に嫉妬したサリエリはその地位を利用してこの若者をあえて蔑み世に出ようとする道々で邪魔をするが、そうすればするほど青年の曲に惹かれていく自分がいた。そう、朝ドラマではどうか、田邊教授は万太郎に瞠目すべき天賦の才があるとようやく気づき、嫉妬心を起して本音では恐れた。当初は万太郎の意気に感じて見込みがあるとして自分自身のために頤使し利用しようとしたのだが…。
経済力を伴わない万太郎が大都会に住み研究の拠点としたのは何とボロボロの長屋で、その住人はと言えばビンボーが常態化していて世間的な眼から見れば使い物にならない無気力人間たちだった。私はドラマの長屋のシーンを度々視聴する間に、実は昭和40年の東宝映画で黒澤明監督の『赤ひげ』を思い出していた。描いていた長屋の住人の人情がドラマとダブったのだ。江戸時代小石川療養所の所長だった新出去定(三船敏郎)と新米青年医師保本登(加山雄三)が、車大工の佐八が死期を迎えていることから長屋に戻すという展開でこの「貧民窟」へと場面は移る。万太郎と長屋の住人との関係性が、治すべきところが体か心かの違いはあっても私的には「赤ひげ」とダブったのだ。この場合万太郎が新出になる。なお、新出と保本の立ち位置や関係が田邊と万太郎のそれに似ているが少しく違う。保本は無学ではなく長崎で蘭学を学んだキャリア医師なのだから。ただ学んだ資料のすべてを寄越せと命じられるところは似ている。
田邊教授が、自分の指示に遵わず、自分の植物学への取り組み方にも同意しない、つまり万太郎が自分に隷属しないことに腹を立て、ろくに小学校も出ていない、学歴が無いし大学の学生でもない、学者でもない、しかるべき身分も社会的地位もない等を並べたて、万太郎にクズ同様だと言わんばかりの罵詈雑言を浴びせる場面が数回あった。これらを束ね端的にバカにするのに恰好の言葉がある、「お前なんか!」がソレだ。それを口にするお前こそ何様?とついテレビに向かって毒づいた私がいた(笑)。何のことは無い、たぶん青春時代、壮年時代、更には伊豆に移っての年配と呼ばれる年代のそれぞれで私自身が「お前なんか」とせせら笑われた経験がそうさせたのだろう。私を蔑んだ偉い方たちは、学校長、教師、中企業の社長、観光ホテルの総支配人、期間工面接会場の現場主任、家族企業の社長など様々、いや本当に世の中には「偉い人」が多かった。
そうそう万太郎を小馬鹿にした田邊教授は小学校もろくに出ていないと学歴の無さを口にした。たしかそのときだった、ソニーの経営者だった盛田昭夫氏が書いた『学歴無用論』という本を思い出したのは。初版は1966年だから最早半世紀も前だが、2018年に復刊されているのでいまも内容を確認できる。正直なところ私も最初眉唾だと感じた。著者が大卒ばかり採用している大企業の経営者という想いからだったが、この著者の真意は違うようだ。入社前に学んだことや卒業した大学はその人の資産てはあるが、それを使って社員が会社のためにどれだけ貢献したかでその人を評価しなくてはならないと、つまり彼は学歴の偏重に警告をしたのだった。「無用」は多分「ショッキングキャッチ」の役目だろう。では盛田説を当てはめるとして、学歴の無い万太郎の「資産」とは何か。それは植物への愛からくる真摯な研究心とこれを継続する力に基づく「独学」そのものと言えよう。彼はそれを「会社」ではなく「社会」のために貢献しようとしているのである。
いまは亡き著者盛田氏もきっと、万太郎を学歴の有無などで゜評価を低めにはしないだろう。そう思う。
最後にやはりドラマの出世や解職、つまり人事異動の様子を視ていて思い出したのはこの二つ。長すぎたのでさらりと締めたい(^^♪
①組織において「あなたを引き上げるのは同僚や部下ではない、常に上だ」
②「下積み時代」として何かを語れるのは「成功した者」だけだ。
これも実際、胸にドスンと響く。
、

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幸せは「詩(うた)」にならない
思い出してください、歌謡曲の歌詞にしてもシンガーソングライターの歌詞やワードにしても、恋の成就やその最中の幸せを綴ったものより広い意味の「別れ」を想うものがほとんどだということを。ヒット作は特にそうですね。昔の私の恋の詩も妄想でしかないのに顧みるとほとんど「別れ」でした。考えてもみてください、幸せ感いっぱいのときには詩など創らずに、相手のことで胸がいっぱいでしょう(^^♪ 知りませんが。
「別」
莨(たばこ)の煙のむらさきに
都会の垢(あか)を見たような
そんな気がして涙色
青空に人が創った境さえ
あなたにとってはあたりまえ
雲の消しゴム引き寄せて
続いているのと教えたい
もう帰らない熱い日々
並んで歩くそれだけで
ひとつの心になれたのに
琥珀色(こはくいろ)した沈黙が
別離(わかれ)の二字をはぐくむの
ポプラ並木に虫がいる
二人の壁には蔦(つた)もみじ
小春の陽を背に冬支度
もう言わないけれど
さようなら
夏休みに入ってから旧盆が終わるまでネットにつなぐ電波が日により時間により破壊的に減ってしまうことが多くなり、長めの、考えながら創る記事が難しくなりました。だいぶ好転しましたが、まだ不安定。少し短くと考えて、自分の過去作紹介を始めました。毎回ではありませんが、同様な異変が起りそうな日はこれを挟み込みたいと思います。ということで今回もご迷惑様です(^^♪ しかし、空中を飛んでる電波でも地上で取りあうってことがあるとは知りませんでした、恥ずかしながら。ではまた。

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